破傷風菌についての話
破傷風は破傷風菌による細菌感染症です。
破傷風菌は嫌気性有芽胞菌という区分に入ります。
この意味は芽胞という植物の種子のような特殊な形態を持っているということで、その種子が一定の条件が揃うと「発芽」します。
この種子自体は物凄く丈夫なものです。
熱にも乾燥にも強く、アルコールやヒビテンではビクともせず、抗生物質も無効です。
つまり通常の傷の処置でこの芽胞の侵入を防ぐことは不可能です。
発芽した破傷風菌は増殖し、特有の毒素を放出します。
この毒素が強力な毒性を持ち、破傷風に特有な特徴的な症状を呈し、またその重症化の要因ともなるのです。
破傷風菌は酸素を嫌う性質があるので通常の栄養状態の良い条件では、人間の身体に侵入しても発芽はしません。
たとえば、大量の破傷風菌の芽胞を飲み込んでも、また皮下に注射してもすぐには何も起きません。
ところが、組織が一旦酸素欠乏状態になると発芽した細菌が強力な毒素を放出し、その神経毒の作用によって破傷風特有の症状が出現するのです。
破傷風は土の中の常在菌です。
特に田畑の土からは、8割以上の高率で破傷風菌が検出されたという報告もあります。
つまり、実際には僕達は破傷風菌に本当に身近に接しながら日々の生活を送っているのです。
破傷風菌は目に見えないレベルのごく少量の土からも検出されます。
従って、生野菜や果物を食べる時、そこにも微量の破傷風菌は付着している可能性があるのです。
ただ、それを食べても通常は何の問題も起こりません。
その一部は一旦肝臓や脾臓には集まりますが、数日のうちには便と共に体外に排泄されてしまうからです。
ただ、たとえば抜歯などで口腔内に傷が付き、その部位に破傷風菌の芽胞の侵入があるとその傷の中の低酸素状態で発芽して破傷風を発病するリスクは存在するのです。
(これは仮定の話ですが、問題なく行なわれた抜歯後にそれが原因としか考え難い破傷風の発症例が報告されていることは事実です)
通常破傷風は古釘で刺したとか犬に咬まれた、といった汚く大きな傷の後に発症すると考えられています。
しかし、これまでの破傷風の事例を検討した報告では、滅菌などの操作が適切に行なわれた手術後や抜歯後に生じた破傷風の事例が少なからず報告されています。
つまり、破傷風菌は通常考えられているより多くの経路を通って身体に侵入しているのであり、皆さんが幸いにして破傷風になっていないのは芽胞自体の体内への侵入はあってもそれが発芽せず毒素を放出しないうちに体外に排泄されているからに過ぎないと考えられるのです。
破傷風の潜伏期は、短くて3日、長くて数十日に及びます。
平均では1週間程度です。
この幅は何故かと言えば、芽胞が発芽しそこから毒素が放出されるまでに掛かる時間が異なるからです。
汚い傷から侵入し、その部位が低酸素状態になっていれば、発芽は速やかで発症も早いのです。
そして、侵入した部位がその時点では酸素が豊富な状況にあれば発芽は行なわれず、その組織が低酸素に陥ると発芽が起こります。
傷が速やかに治れば芽胞自体は侵入しても発芽はしないケースもあります。
従って、身体の中に実際には破傷風の芽胞を持っている人も存在する可能性があるのです。
そうした人がその場所に再度傷を負うと、その芽胞が発芽してその傷自体が汚染されていなくても破傷風が発症することがあります。
破傷風の毒素は、非常に強力な神経毒です。
放出された毒素は神経細胞に侵入して、最終的には脳に達します。
その間の症状として、まず口の周りのツッパリ感や飲み込みがし難い感じ、首のこわばりや口の開け辛さが生じます。
その時点で診断が付かないと数日のうちには、痙攣を起こし意識障害から最悪は死に至るのです。
治療は呼吸を重点においた全身管理と、速やかな破傷風抗毒素を含む免疫グロブリンの使用です。
口が開け辛い、飲み込み難い、首が張るなどの症状は、高齢の患者さんでは比較的一般的な症状です。
これだけ怖ろしい病気である破傷風ですが、救いはワクチンの効果が非常に高いということです。
ワクチンを否定される先生も破傷風のワクチンに関してだけは、その使用に賛成される筈です。
インフルエンザのワクチンなどと混同してはいけません。
破傷風は御存知のように北里柴三郎博士によりその病原体が初めて発見されました。
1889年のことです。
そして、その毒素を無毒化した所謂トキソイドがワクチンとして使用されたのは、1926年のことです。
このように非常に歴史の古いワクチンで、その製法もシンプルそのものですが、その効果は抜群で日本で3種混合ワクチンとして小児の接種が開始された1968年以降、破傷風の患者さんは劇的に減少しました。
ただ、破傷風自体は土壌の常在菌ですから撲滅出来るような性質のものではなく、そのため現在でも高齢者を中心に年間100人程度の患者さんが報告されています。
そして、今回の震災を受けて今年の破傷風の患者さんは、おそらく例年の数倍には達するのではないかと予測されます。
破傷風が震災後に流行する原因は、これまでの説明で皆さんにはもうお分かりだと思います。
50代以上の中高年層は、基本的に破傷風の抗体を持っていません。
そして、破傷風菌が侵入し易いような傷は震災で多く発生します。
更には被災者の栄養状態は悪いので組織は低酸素状態に陥り易く、破傷風菌が発芽して毒素を放出する全ての条件が揃っているのです。
破傷風は他の病気とは違い一度罹っても身体に抗体が出来ません。
毒素の放出自体が通常はごく少量なのでその量では免疫が充分に働かないのです。
その点ワクチンには不活化されたより多くの毒素が含まれているため、免疫が活発に働き抗体が産生されるのです。
つまり、破傷風は自然には免疫が出来ず、ワクチンを用いて初めて予防が可能となるそうした性質の病気なのです。
ワクチンの副反応は局所の腫れと、アナフィラキシーと呼ばれるアレルギー反応が主体で、それ以外のものは極めて少数です。
従って、勿論もうそうした施策は行なわれているのでしょうが、一刻も早く被災地の避難所などの特に高齢者にそれまで重症のアレルギーなどの既往がなければ、洩れなく破傷風トキソイドを注射するべきです。
少なくとも2回の接種が済めば破傷風の発症からその方は免れる可能性が高くなるのです。
これは被災地の医療において一刻を争う事項の1つだと思います。


